語学の虎の巻 [書評]英語・外国語学習法 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008/03/18

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語学の虎の巻 [書評] 英語・外国語学習法 - 034号 -

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■今週の本 「日本語が見えると英語も見える」

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買う??: ★★☆☆☆

二回目読み直して、私にはとても面白く、いろいろな考えが次々と刺激

されて浮かんできました。ですが、一般ウケする内容ではないと思います。

中津燎子「なんで英語やるの」の解説書として優れています。

 

実行可能度: ★★☆☆☆

本書で示されるオノマトペの英訳の例はとても良いトレーニングになると

思うのですが、同様の練習を独りでやるのは答えにたどり着けず不可能です。

 

読んで頂きたい方:

和文英訳で悩んでいる方は、「中間日本語」の考え方が役に立ちます。

 

 

「日本語が見えると英語も見える」 荒木博之

中公新書 1994.10  

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■内容

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日本人が英語が苦手である理由を、両者の対象世界の切り取り方の違いに

求めています。

 

まず、第一部に於いて、オノマトペなどに見られるようなファジィな

情動的言語としての日本語と、概念的・抽象的な言語としての英語との

差異を述べます。

例として「けなげ」の英訳を試みるのですが、和英辞典にあるように、

英単語一語で表現できるようなものではなく、ファジィであるが故に、

英語の単語を二つ、三つ並べないとその意味が出せないとしています。

ここで中津燎子氏の「中間日本語」が出てくるのですが、それは「外国語に

移行可能な程度に最小限度整理された日本語」です。

例えば35ページにある例では、「よぼよぼの老人」の英訳を、和英辞典では

「a decrepit old man」としているところを、「よぼよぼ」をまず「老人が

衰えて身体のしっかりしないさま、また力のない足取りで歩くさま」と

訳しやすい日本語にほぐした上で、「a feeble and shaky old man」或いは

「a weak and shaky old man」という訳を提示します。

 

第二部では、モノローグ言語としての日本語と、ダイアローグ言語としての

英語の対比を行います。

電話口で相手に「弟と代わりますから」と言うときに、I も you も存在

せず、また川端康成が「国境の長いトンネルを抜けると」と書くとき、長い

トンネルを抜けるのが誰(あるいは何)であるかが明らかではないと言う

例から、日本語に於いては自分/相手の意識がはっきりしないモノローグ

言語になっているとしています。

 

これらの問題点の克服法として、第四部で中津燎子氏のアプローチを

提示します。

 

第五部では音声訓練の方法として中津式アプローチを提示します。

 

第六部では、中間日本語を経由しての英訳の実例を提示します。

 

第七部では本書全体を「苦手克服七カ条」とまとめた上で、平泉渉・渡部

昇一「英語教育大論争」をたたき台として、英語教育のあり方について論を

展開します。

ここで紹介される渡部氏のコメントは興味深いです。以下の部分が印象に

残りました。

 

「戦前、戦後の外国語(英語)教育は、日本人に母国語と格闘することを

教えた。単なる実用手段としての外国語教育は母国語との格闘にならない。

その場合は多くが条件反射の次元で終わるからである。英文和訳や英文法は

ことごとく知力の極限まで使ってやる格闘技なのである。そしてふと気が

付いてみると、外国語と格闘していると思ったら、日本語と格闘していた

ことに気が付くのである」(163ページ)

「近頃、日本の国語教育に対する批判が高い。しかし、逆説的ではあるが、

日本の国語教育は、国語の文学的教育であるにすぎず、国語の言語学的

教育は英語の時間にもっとも徹底的に行われているのである」(164ページ)

 

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■感想

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(今週は私の独り言に近い感想で、内容があちこち飛びまくりますので、読み

飛ばして頂いて結構です)

 

この本を最初に読んだのは2005年4月でした。

この本自体も当時かなりのショックを与えてくれましたが、同時に、中津

遼子著「なんで英語やるの?」に巡り合わせてくれたという意味で、大きな

役割を果たしてくれました。

 

本書で紹介される「中間日本語」という概念は肝心の中津氏の本では、

続編の「再びなんで英語やるの」方に出てきて、しかも、本の2,3ページ

軽く触れられているだけでした。

 

高校の時の和文英訳で、「英訳しにくい時はまず日本語をもっと訳しやすい

日本語に言い換えてから英訳しなさい」という指導を受けました。

それが本書で言うところの「中間日本語に直す」ということなのでしょう。

当時はそんなものかと思いましたが、本書でその理論付けが与えられました。

 

「やまとことばを英語に移す場合は原則として二語以上の英語をもって

なさなければならない」という著者の主張は大きなショックでした。

 

対象世界の切り分けという視点はこれまでも意識していて、意味や音の

領域で使っていました。

 

虹の例で言えば、次のようになります。

 

日本では虹には七つの色があります(実際は連続して変化している色の帯に

対して7つの色を認識する)が、Aという言語(エスキモーのとある部族の

言語?)では二つの色しかありません。これを明るい色と暗い色としましょう。

この場合、日本の赤も黄色も、Aでは「明るい色」となります。

逆にAの「明るい色」は赤だったり黄色だったりします。それは状況に

よって決まります。

ところが、この本を読むとその考えは薄っぺらだったと思い知らされる

こととなります。

先ほどの「明るい色」が赤だったり、黄色だったりするのですが、赤でも

あり黄色でもある場合があるということです。

 

上に書いた「けなげ」などの例がそれにあたります。

この場合、「明るい色」の日本語訳は、「赤かも知れないし黄色かも知れない」

ではなく、「赤であり黄色である」ということになります。

 

それまでの私は、直線的、或いは平面的な意味領域をどのように切り

分けるかと言う形で考えていたのですが、それは、一単語対一単語という

完全対応はあり得ないと理解しつつも、特定の状況に於いては一語で

訳せると思っていたわけです。

 

ところが、本書で言えば「けなげ」を訳す際には、その弱小性、逆境性、

忍耐性、勤勉性を理解した上で英語に訳すことから、三語も四語も費やす

わけです。

 

もちろん、これは英語の問題と言うよりは、ファジーな日本語の多義性に

よるものですが、これにより、日本語->英語はもはや直線でも平面でもなく、

厚みを持った重ね塗りの構造となったわけです。

 

そうした中での辞書の訳語はどのように考えたらよいのでしょう。

 

私はこれまで(今でも)英和辞典派で、特に英英辞典の使用にはこだわって

いませんでした。

辞書にある訳語は意味領域(面積)の中に置かれた座標であり、そこを基点に

肉付けをしていって意味領域の境界をつかめれば良いと思っていました。

 

辞書を見ると訳語をざっと眺めた上で、そこに共通する領域に思いを馳せ、

個別の訳語は忘れる様に心がけていました。

 

ところが、日本語においては意味領域は平面ではなく厚みを持っている

わけです。

平面の意味領域と厚みを持つ意味領域をどのように対置させるかが課題です。

(と、ここまで書いてきて、過去30年以上の私の作業は、英語の意味領域に

日本語の訳語をプロットすることが中心で、その逆の作業はほとんどやって

いないことに思い至りました)

 

第五部「音声訓練の方法」では、「音も文化である」としていますが、

「英語音声訓練に限って言えば、英語のネイティブ・スピーカーはあまり

役に立たないということである」(136ページ)

文法のみならず発音も、ネイティブなら何の努力もなく出来てしまうので、

教えられない(どうして日本人には出来ないのか分からない)ということです。

 

第七部の渡部氏の主張も新鮮でした。

 

以前紹介した三森ゆりか「外国語を身につけるための日本語レッスン」

などを読んでいると、日本の国語教育の中で論理的な思考、表現のトレー

ニングが為されていないことで英語での表現が苦手だという印象を受けます。

その観察はそれとして正しいと思いますし、論理的思考プロセス/表現手法を

学ぶことも、異文化理解の一部でしょう。

 

ここで渡部氏が述べているのは、訳をするという作業で格闘することで

外国語と格闘し、実は日本語と格闘しているということですが、それが

異文化理解につながるのだと思います。訳せないと分かること、それを

何とかして訳すことを通じて異文化理解が深まるのであり、この部分は

国語教育の中では為し得ないことだと思います。

 

最近の英語教育においては、訳すという行為を避けているような気がします。

日本語を介さずに四技能を身につけて、英語だけの運用能力が高まったと

しても、訳す作業をせずにそこに至った場合、異文化理解という観点が

抜け落ちているかも知れません。

 

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■おまけ

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平泉渉・渡部昇一「英語教育大論争」(文春文庫)

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発行者略歴

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澁澤寅彦 (しぶさわとらひこ) (ペンネームです)

1962年生まれ。福井県出身。証券会社の経理マン

 

2002年から2005年の四年間に、英仏伊の3カ国語それぞれで三冠

(ガイド試験、検定1級、EUのC2レベル試験)を達成した。

 

来月は年度決算。

どこか一週、メルマガをお休みさせていただきます。

 

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メルマガ名: 語学の虎の巻[書評]英語・外国語学習法

発行者 : 澁澤寅彦 ( [send email to shibu.tora@gmail.com via gmail] shibu.tora@gmail.com)

発 行  : まぐまぐID= 0000238273

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