Hatena::Groupshibutora

語学の方程式 英仏伊語トリプル三冠王 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011/01/09

メモ 「『英語公用語』は何が問題か」

17:51

 

鳥飼先生の「「英語公用語」は何が問題か (角川oneテーマ21)」を少し前に読みました。読み返してから感想を書こうと思ったのですが、貸出期限が来て返却日が来て返却してしまったたのでうろ覚えのメモです。

 

全体的には新書にいろんなテーマを詰め込みすぎて「英語公用語」は何が問題か分からなかった人も多かったのではないかと思いました。

 

今回の「英語公用語」の話題は、もちろん楽天やユニクロが社内公用語を英語にしたということについてのものですが、過去の英語公用語化の議論とは異なることを明らかにする必要があるでしょう。例えば明治時代の森有礼の「日本語廃止、英語採用論」であるとか、2000年頃の船橋洋一氏らによる「英語第二公用語論」とかとは異なり、国レベルでの公用語をどうするかという話ではなく、私企業の社内公用語をどうするかという話題です。

 

その点から言えば株主でもない債権者でもない社員でもない私は「それが必要な会社なのであればそうすれば良い」というスタンスで、それ以上取り上げる必要も無いと考えてしまいます。そこまでコメントしていく必要があるのであれば、うちの会社の社内文書の英語化レベルについてもコメントして貰いたいと思うのであります。

 

本書の最初のところは、英語の支配が強まっているという意味での「英語帝国主義」という見立てから、それを1)英語ができるか出来ないかが格差を生み出す「English divide」という点と、2)言語の多様性を守るべきであるのに英語の支配によりそれが失われていくという2点に分けて論じています。

 

English divide についても定義がいくつかあるのではないかと思います。

 

ユニクロや楽天などのような企業が増えることで、英語のできるできないで就労機会に差が付くという話ももちろんありますし、ネット社会での個人の情報収集のレベルに大きく差が付くと言うこともあるでしょう。

 

また、アジアの一部の国(韓国もそちらに進んでしまうかも知れない)のように、高等教育は英語でしか行わないために制度として English divideをつくり出しているようなケース。

 

本書での English divideは定義が良く分からないのですが、最初の方は、ビジネスで英語を使ってやっていくには外国語として英語を学ぶ日本人は絶対的に不利。インド人などの ESLの人たちにも勝てない、もちろんネイティブには絶対勝てないと書いています。

それは現在の Globish の流れとは合っていないような気がしました。

所詮無理なのだから優秀な通訳者を雇いなさいと言っているようにも読めました。

 

言語の多様性については鳥飼先生がこれまでもずっと言ってらっしゃったことですが、タンザニアやケニアで起きたようなことは日本については起きないような気がしています。何の根拠もありませんが。

 

面白かったのは以下の点です。

 

日本語が出来れば世界中の本が読める (43ページ)

一瞬「英語ができれば」の読み間違いかと思いました。

日本ではいろんな言語からの翻訳本が出版されることから日本語が出来れば世界中の本が読めると言われているそうです。

 

ビジネス界から出る意見は傾聴に値するとしても、大学も含めての学校教育はビジネスパーソン育成だけを念頭におくわけにはいかない。未来の公務員もいれば学者や医師、法律家、芸術家等々、多用なキャリアを目指す人材の卵を教育するのであるから、生徒や学生が将来どのような職業に就くとしても、英語が必要になった場合に、少しの努力をすれば対応できるくらいの一般的な英語(English for General Purposes)の基礎を教育するのが学校英語の使命である。 (150ページ) 

コミュニケーション重視の英語教育になって学校では文法を教わらず英語力はこれまで以上に落ちている中でそもそもビジネスパーソン育成の為の英語教育が為されているかどうかは疑問ですが、将来的に英語の文献を沢山読むことになる人、英語以外の外国語を学ぶことになる人、その他のいろいろな人のニーズを考えると、コミュニケーション重視の今の英語教育は非常に危険なのではないかと思います。

 

私が大学でのフランス語、社会人になってからのイタリア語を(英語と比べて短時間で)習得できたのは、外国語の基本(発音、文法など)や外国語を学ぶコツを英語教育の中で身につけていたからではないかと思っています。

 

165ページの辺りでは、みんなが英語ができるようになったら英語ができることじたいは付加価値ではなくなるということが書かれています。

現在の英語教育と社会人英語教育を見ていてそのような時代は当面来ないと思いますが、仮にそうなるとすると、英語がものすごくできるか、英語もできるが仕事も出来るということが必要になるわけです。前者は英語屋/英語専門職への道でしょう。英語習得に時間をたくさん使っている中で後者の道も厳しそうです。

(幸運にも英語ができるようになった私は英語のことなど放っておいて仕事のレベルを上げるように努力しないと行けないのですけれど...)


 

 

一日一回クリッククリック 

にほんブログ村 英語ブログ 英語学習者へ 

 

lupinistlupinist2011/01/15 11:09>「日本語が出来れば世界中の本が読める」

日本文学の翻訳で有名なドナルド・キーンさんが数十年前に
「文学をやりたいアメリカ人の学生には日本語を学ぶように勧めています。
世界中の文学が読めるからです」と発言されたそうで、それを引用と
いうか孫引きした文章をなんどか目にしたことがあります。
各社から何種類もの「世界文学全集」が発刊されて、しかもそれが
けっこう売れていたという時代です。翻訳大国なんて言葉ができたりして。

岩波少年少女文学全集にはスエーデンの作品(リンドグレーン)や
当時はまだ国交のなかった中国のものも原語からの訳で入っていました。
マルクス経済学の文献やらフランス思想(実存主義とか構造主義)の本
なんか英米ではあまり翻訳がないだろうし(不要という説もあるが)、
その意味でどん欲というか好奇心が強いのは日本人の美点といえるかも。

ルパン・シリーズ(1905年から)も日本では保篠辰緒氏が1918年に初訳。
台湾では1980年代に入ってからで、しかも南洋一郎版からの重訳だとか。
中国では1990年代に原語からの完訳版が出だしたそうです。
北京外国語大学というのがあって、かなりの難関でエリート校らしいので
そこの卒業生が訳したのかなと。そもそも「外国語→自国語」辞典だって
ちゃんとしたものが出来るまでには何世代もかかるから、英語以外の翻訳は
たいへんだろうなと思います。

駄菓子菓子

いまはどの分野でも英語がリンガ・フランカですよねえ。
少しずれますが、ちょっとおもしろい図表を見つけました。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/13564.html
「第二次世界大戦後、外国で出版された日本文学の推移」
(図が小さいので拡大して見てください)